JP EN

ゆーこのすくりぷとーく

- 現場から見えた水谷豊監督の才覚 -

現場から見えた水谷豊監督の才覚

5月10日に公開された水谷豊監督・脚本の映画「轢き逃げ~最高の最悪な日~」でスクリプターを担当した。
水谷監督とは前作「TAP -THE LAST SHOW-」で始め就かせて頂いた。役者としてのキャリアが何十年もあり、常に第一線で活躍された水谷豊さんと監督としてご一緒することに、かなり緊張していたことを覚えている。私は前作も今作も「新人監督」をサポートするよりも、その監督としての才能に驚いてばかりだった。
issue011_column03_body001
「轢き逃げ」では監督自らが脚本を書いているが、初めて書いた脚本とは思えなかった。まずその書き方、文体が初めて読む形だった。
台本のト書きは大抵の場合、動きや言い方、状況説明が書いてある。「立ち上がって」「駆け足で近づいて」「笑いながら」「たくさんの鏡が飾ってある」など客観的なものが多い。しかし水谷監督の書く台本にはさらに動作や感情の根拠が書かれていた。「〇〇だと思ったので意外に思った」「心臓が飛び出そうになった」「いざ彼を前にするとどう言葉をかけていいのか分からなくなっていた」など。

またところどころでキャラクターのバックグラウンドが説明されている。「〇〇は今までこんな話をしたことはなかった」と言うような書かれ方をしている。まるで小説を読んでいる気がしてくる。そして台本の段階で役者への演出が始まっていることに気づいた。

しかしながら水谷監督は現場では自分が書いた脚本にとらわれない柔軟な判断をしていた。セリフの順番を変えたり、シチュエーションを変えたりと執着心はなく、良いアイディアを思いついたらどんどん取り入れて行っていた。脚本を書く視点と監督との視点が完全に切り替えられているからだろう。

芝居のピークを見極める

水谷監督のスクリプターになることで、芝居というものがどの程度頑丈なのか、そして繊細なのかということを学んだ。
例えばキッカケについてだ。キッカケとは本来編集で使いたい部分を撮るときに、少し前の芝居から始める助走のようなものである。近年このキッカケは長くなる傾向がある。それは役者の気持ちが乗るように、とかキッカケ部分も素材として使えるように、という理由からだ。しかし水谷監督の現場ではとても短い。大抵一つ前のセリフや動きからだ。
監督は、キッカケが長いことが役者たちに良い影響を与えないと知っていた。それは自らの役者として長い経験から言える事でとても説得力があった。同じところを何度も繰り返す芝居で役者が考えすぎてしまうと、ここを使うという「使い所」で彼らの力は発揮できなくなってしまう。最初のテストで使い所だけの芝居を見て、必要なら監督が修正していく形だった。そして本番はほとんど一回でOKを出していた。

カットをかけるタイミングもとても短い。使い所が終わったらすぐにカットし、無駄な芝居をさせなかった。セリフがない芝居の時のタイミングは絶妙だった。ここまでという線引きが難しい芝居の場合でも、役者から出る芝居のエネルギーのピークを完璧に見極めていた。そしてピークを過ぎてから長く回すことも避けている。ピークを過ぎた後長く回しても役者が消耗するだけと教えてくれた。これは役者としての経験があるからこそ分かる部分なのだろう。

全てを芝居のヒントに

監督はすべての事を芝居のヒントとして見ているようだった。その全てに対しての観察力は驚かされる。特に人間についてかなり観察しているのだろうと思う。人間が一つの事象に対してどう反応するか、どう吸収していくのかは人によって違っていて、それが面白いと考えている。監督自身も様々な環境や人を見てきてそれが芝居に生きているのだと思うし、本作品のキャラクターにも生きている。同じ環境で生活している人々の違い。「轢き逃げ」という事故に対しての反応。娘を亡くした両親それぞれの反応。それぞれ違って当たり前だが、それぞれに起こる心の変化を観客に共感させ、役者に演じさせる演出ができるのは完全に中立でいられるからだろう。その中立性は監督自身が今まで様々なキャラクターを演じてきた中で培われたものなのだろうなと思った。

水谷監督は作品が最初から最後まで、自分の中ではすでに出来上がっていて、それを撮影していく、という感覚なのではないかと感じている。カットの説明をするときも芝居の演出をするときでも、迷いなく自分の思いを伝えていた。作品の中でクライマックスのシーンを撮るとき、夜の間に50カット以上を取らなければいけなかった。それは時間的にとても難しいシーンで、複雑なシチュエーションを整理しながら撮って行った。最初のうちは台本を開く時間も部屋の明かりも少なかったので、台本を開いている私が次撮るカットの把握をして伝えていたのだが、ものの数カット撮っていたら、監督と撮影監督の会田さんが確認することなく次々とカットを撮り進めていった。監督の中にも会田さんの中にも共通の映像があって、芝居を作る監督と映像を作る撮影監督が阿吽の呼吸で現場を進めていくのは見ていて気持ちいいものだった。そうなってからは私はただただ撮ったカットの記録をしているだけだった。

このシーンでは監督自身も役者として演じている。監督が演じているときは役者としての水谷豊さんなのだが、監督としての意識も両立させていた。自分が演じながらにして相手の芝居も監督している。そして驚くのが、芝居しながらアングルを完璧に把握していることだ。どんなサイズでどこまで映っているかが分かっていた。長年タッグを組んでいる会田さんが撮っていることもあって、撮ったカットをいちいちチェックしないでも安心していた。

「失敗したら自分のもの、成功したらみんなのもの」

水谷監督と一緒に仕事をして参考になったのは芝居や演出のことだけではない。リーダーとして立つ姿勢についても大きな学びを得た。
水谷監督はスタッフに常に感謝をしていた。映画はこのスタッフたちがいないと撮れない、自分ができないことをやってくれていると。それはすべてのスタッフに対してである。数々のスタッフを見てきた水谷監督だが、どの仕事に対してもできて当然と思ってはいなかった。それをなんども口に出して伝えていた。そしてその信頼を裏切るまいとスタッフたちが監督のために力を発揮していた。監督は「失敗したら自分のもの、成功したらみんなのもの」という事を言っていた。責任をもった考えはスタッフを動かす原動力になり、チームが一つになって行ったのだと感じた。水谷監督は役者や監督だけでなく本当のリーダーなのだろう。
issue011_column03_body002