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第一次世界大戦のフィルム映像を、最新デジタル技術で3D作品へ蘇生! 『彼らは生きていた 』ピーター・ジャクソン(監督・製作)

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©2018 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.

『彼らは生きていた』
http://kareraha.com

シアターイメージフォーラムほか、2020年1月25日より、全国順次公開中!
配給・宣伝:アンプラグド

モノクロフィルムから全てを再生 本作は、イギリス帝国戦争博物館に所蔵されていた100年以上前の第一次世界大戦中に、西部戦線で撮影された約2200時間以上に及ぶモノクロフィルムから、約100時間分を選び出し、映像の修復とカラーリングを行なって作られた、最新技術による戦争ドキュメンタリー映画だ。
これは第一次世界大戦の終結から100周年を記念した事業として 2018年10月のBFI ロンドン映画祭での上映を目的に制作された。この監督・製作に当たったのは「ロード・オブ・ザ・リング」等で有名なアカデミー受賞監督のピーター・ジャクソンだ。
彼はこの製作にあたり、まずニュージーランドのパークロード ポストで復元作業を行なった。元の映像に見られる傷やゴミを取り除くというアーカイブのスキャン映像の手入れや、映像のノイズを取り除き、フレームレートを変え、これをアメリカのステレオDに送って、さらに修復とほこり、傷、破れ、化学物質でできたシミなどの欠陥を取り除き、カラーリングの作業を行なった。
そこには当時の色を再現するために歴史家も参加している。ここに音声を加えて最終的に3D 映像化することに成功した。 修復・カラー化したフィルム映像に、当時は手回しの手動カメラのためコマ数も秒間13~16 フレームとバラバラなスピードで撮影されていた。
そこに補完フレームをデジタル生成して今の映画の24フレームに修正。さらにBBCが所蔵していた退役軍人のインタビュー音声を使用し、また読唇術の専門家の協力を経て、当時のイギリス訛りで音声を組み合わせる作業まで、膨大な時間を要する長期間のプロジェクトになった。 古い映像をカラー化する試みは各国で行われているが、アカデミー賞監督を起用して、豊富なイマジネーション、細部に徹底的にこだわり、こ れほどの規模と緻密な作業でレストア作業を行った例はない。

ピーター・ジャクソン監督インタビュー

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©2018 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.

ピーター・ジャクソン
監督・製作
1961 年、ニュージーランド生まれ。8歳の頃から8ミリカメラで映画作りを始める。
『バッド・テイスト』(87)で長編映画監督デビュー、同時に自身のプロダクション、ウィングナット・フィルムズ社を設立。
『ブレインデッド』(92)でカルト監督としての地位を確立する。
ケイト・ウィンスレット主演『乙女の祈り』(94)製作時に VFX制作スタジオ、WETAデジタルを設立。同作は第51回ヴェネツィア国際映画祭にて銀獅子賞を受賞したほか、第67回アカデミー賞脚本賞にノミネートされるなど世界中で高い評価を受け、マイケル・J・フォックス主演『さまよう魂たち』(96)でハリウッド進出を果たす。
『ロード・オブ・ザ・リング』三部作(01,02,03)は合わせて30のアカデミー賞にノミネート、17のアカデミー賞を獲得。
続いて手掛けた『キング・コング』(05)でも、特殊効果において第78回アカデミー賞で3つ、第60回英国アカデミー賞で1つの賞に輝いた。『ホビット』三部作(12,13,14)の各作品は世界中で約10億ドルの収益を上げ、三部作合わせて7のアカデミー賞にノミネート。『彼らは生きていた』以降は、ザ・ビートルズのドキュメンタリーが待機中。

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「彼らは生きていた」の映画化 この映画の制作を提案された時に帝国戦争博物館が言ったのは、アーカイブ映像を斬新な方法で使うということだ。
いろいろ悩んだが帰国してからアイデアが浮かんだ。ニュージーランドにはコンピューターがある、沢山ね。コンピューターの力を借りてどうにかできないかと思った。どこまで古い映像を修復できるかに強い関心があったんだ。第一次世界大戦時の映像をきれいに修復できるのか?僕には分からなかった。
そこで博物館が4分間ほどの映像を用意し、どのように修復するか実際に試してみたんだ。きれいになった映像を見て驚嘆したよ。思っていた以上に迫力があったんだ。
特に印象的だったのが顔だ。映像に写った人間の顔に生気がよみがえった。まだ映画の形は見えなかったが彼らが主人公だと思ったよ。戦争や戦略の映画ではない、兵士たちの映画だ。

プロジェクトの始まり~制作過程について

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Q:このプロジェクトの始まりと、監督の作品へのアプローチについて

第一次世界大戦に関する映画の製作依頼は今までも何度かあったが、僕は今まで第 1 次世界大戦を劇映画で撮りたいとは全く 思わなかったんだ。
だが、約4年前、帝国戦争博物館から、終戦100年を迎える第一次世界大戦にまつわるドキュメンタリーに関心 がないかと尋ねられた。
彼らからもらった指示は、第一次世界大戦に関する作品ならば、どの側面に焦点を当てたものでもいいが、彼らの 保管映像を使わなければならないというものだった。
帝国戦争博物館は、第一次世界大戦時に撮影されたオリジナル映像の最大のアーカイブを保管していて、少なくても2200時間分ある。
また、彼らのもうひとつの要望は、僕がその映像を独自の新しいやり方で使うということだった。僕はニュージーランドに戻って、僕たちが持っているデジタル技術によって、その100年前の映像をどんなふうに復元できるか考えはじめた。
フィルムの復元は、これまでにもなされてきたわけだから、新しいことではない。
だが、最新のデジタル技術を最大限に使って復元してきただ ろうか? 僕は、こんなことを今までやったことがなかったので、成果は未知だった。
そこで、帝国戦争博物館に3、4分のフィルムを送ってもらって試してみることにした。そして、ニュージーランドのパーク・ロード・ポスト・プロダクションで、2~3ヵ月かけて100年の間にもたらされ たあらゆる損傷を消す方法を見つけ出そうとした。
多くの場合、帝国戦争博物館が持っているフィルムは複製や複製の複製、あるいは複製の複製のそのまた複製だったので、画像の質はもとの映像より劣るわけだ。
一度押したらすべてが直るような魔法のボタンなんてない。
すべての損傷がそれぞれ独自の解決策を必要としていた。その後、記録映像を復元できることがわかり、僕が長年制作を待ち望んでいたような第一次世界大戦の映画を作ることになったんだ。

Q:映像のスピードを変えたプロセスについて

フィルムのスピードを解決するのには、かなり時間がかかった。
元の映像は、毎秒約16フレームで撮影されていたと思っていたが、それは誤りだとすぐに分かった。
大部分のフィルムは毎秒13か14フレームだが、10からたまに15や16までの何でもありで、まれに17か18のものもあった。
これほどバラバラのスピードを、もとの映像がどんなスピードで撮影されたか分からないままで、現在僕たちが使っている毎秒24フレームにすることはできない。
僕たちはそれをデジタル技術のプロセスにかけて、翌日24フレームで見ると、少し速すぎるか遅すぎるか、ちょうどいいかだった。
スピードは、良い時もあれば悪い時もあったんだ。存在していなかったフレームは作る必要があった。前のフレームと後のフレームをとって推定をして、存在しているフレームの素材を使って人工的にフレームを作った。
そのプロセスがうまく行った時は感動した。出来映えには、もうびっくりしたよ。本当に興奮した。

Q:ナレーションに、退役軍人の声を使った経緯について

映像を復元して、男たちの顔がとてもはっきり見えるようになったとき、僕はオーディオ・サウンドトラックがその場にいた男たちの声だけで あるべきだと思った。
歴史学者や司会者が塹壕を歩きながら第一次世界大戦を語る声ではだめだ。
その男たちは、その戦争がどんなもの だったかを僕たちに説明する者でなければならない。それで、帝国戦争博物館と BBC に戻って、彼らが第一次世界大戦の退役軍人に 行ったインタビューの録音か口述記録がないか尋ねた。驚いたことに、250人から300 人くらいの退役軍人の600時間もの話を僕たちは最終的に入手することができたんだ。
数百時間の音声を聞くのに時間がかかるのはもちろんだが、僕たちはすべてを聞くまでは映画を作れなかった。
だから1年半くらい、仕事の多くは、フィルムを見て、テープを聞き、この映画がどうあるべきかをゆっくりと見極めることだった。
そして、その作業の最後には、とても簡単なことのように思えた。この映画は、第一次世界大戦で歩兵として戦うことはどのようなものであったかという、平凡な男の経験でなければならない。この男たちが語っていることは、僕の祖父や、誰もの祖父や曾祖父が経験したであろうことだ。この映画を通して彼らの人生 を理解するようになるだろう。
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Q:ナレーション以外の音声とサウンド・エフェクトについて

現代の映画でも音声の大部分が完成するのは撮影後だ。セットで録音していても、生の音声では普通はあまり使いものにならない。
それに、視覚効果がすべて揃っているわけでもないし、それらにはサウンドトラックもないので作らなければならない。
それで、『ロード・オブ・ ザ・リング』シリーズの音響でアカデミー賞を受賞したパーク・ロード・ポストの同じメンバーに「第一次世界大戦の映像のために同じような 仕事をしてほしい」と頼んだ。
僕たちは、ありとあらゆる音が欲しかった。
木々に吹く風から、泥のなかを行く足音、装備がジャラジャラと鳴る音、ライフルのボルトを操作するカチャカチャという音、馬のひづめの音、革のこすれる音…。繊細な音の上に繊細な音を重ね、様々な音の数十個のサウンドトラックを、ひとつのショットにすべて重ねるんだ。
その結果、映画を観る人は、あの日に聞こえた音を聞いているように思うわけだ。
それが、僕のやりたかったことだ。あの兵士たちがカラーで戦争を見たのと同じように、もちろん音のある戦争を体験したのだ。
僕はできるだけ、兵士たちが聞いていた音の印象を作りたかったので、それは兵士たちの会話にまで広がった。読唇術のプロの所に行って、フィルムで兵士が何かを話しているのがはっきり分かるショットをすべて渡して、何をしゃべっているか鑑定してもらった。
そして僕たちは、当時の兵士たちの訛りに正確になるように、連隊の出身地であるイギリスの特定地域出身の役者を見つけた。なぜなら、なまりは実際にしゃべるときのリズムにとって不可欠な要素だからだ。声を付け加えると素晴らしい出来だった。声は映像に驚くほど命を吹き込んだ。

Q:カラー化は、過去の映画制作者にとって、いくぶん厄介な問題でした。この映画の場合、どう感じている?

過去にカラー化が議論を呼んだのは、監督がモノクロでの撮影を選んだ映画なのに、突然、会社が監督の希望に反してぼやけたような悪い色を付けているからだ。僕はまったく同感だよ。
監督がカラーでの撮影を望んでいないなら、それを尊重するべきだ。
だが、僕たちが今回扱ったのはそういう素材ではなかった。
第一次世界大戦の西部戦線にいたカメラマンは、モノクロで撮影するしかなかったのだからね。彼らには、使用したくても使えるカラーフィルムがなかったのだから。
「モノクロかカラーか、どちらで撮影したい?」と尋ねられたら、みんなカラーフィルムを撮っただろう。
絶対に!彼らは、任務として第一次世界大戦の記録をするために現場にいた。ハリウッド映画を撮影するためにいたのではない。彼らはドキュメンタリー制作者で、戦争の真実の記録資料を作っていたので、選択肢があったならばカラー撮影を選んでいたことだろう。僕はそう確信している。
僕がカラー化について学んだことは、ちなみにアメリカのステレオDという会社なんだけど、時間をかければかけるほど、良い結果を生むことができるということだ。僕たちには、カラー化するショットが300もあったので、十分時間をかけることは常に大変だった。だが、僕たちに与えられた時間の中で、目指していたことはできたと思う。それは、これまで人々が見てきた第一次世界大戦の映像で、最高のカラー作品に仕上げることだったんだ。

Q:この映画は、映画制作の最初に使われた手回しカメラを使い、また復元のためには最先端のデジタル技術や最新の映画制作技術を採用しています。これら2つの興味深い組み合わせについて。

100年以上前に撮影された映像に現代の技術を導入したわけだ。西部戦線でカメラをクランクで回転させながら、何度となく命を危険にさらしていたカメラマンたちは、僕たちがしていることをどう思っただろうかと、しばしば考えた。
僕自身が映画制作者なので、映像は出来る限り良く見せたいし、当時のカメラマンたちの誰もが、映像が傷だらけで動きがぎくしゃくして粒子も粗いことを好ましく思っているはずがない。
だから、現代の技術が100年前のカメラマンたちに救いの手を差し伸べた映画なんだと思った。

完成作について
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Q:完成作をご覧になった感想は?

僕は長い間、技術的なことに集中していたが、完成作を観て、心を打たれたのはフィルム上の人々の人間性だった。彼らは画面から飛び出してくる。特に顔が飛び出してくるんだ。もはや、不鮮明なフィルムの粒子や傷、途切れていたり速度が速すぎたりする映像の中に埋もれてはいない。この人たちは「人間」だったのだと理解できる。実際にそこにいた人たちの人間性を引き出すんだよ。それがもっとも刺激的だった。僕は、この映画が彼らを再び僕たちの生活の中に連れ戻すと実感したんだ。

Q:映像を見ていて、特に意味深く感じられる瞬間は?

ある映像があった。イギリス人がドイツ兵を捕まえたとき、救急兵ではないドイツ兵までイギリス人の救急兵を手伝った。敵同士の彼らが、一緒になって負傷者の命を救おうとしていたんだ。イギリス兵かドイツ兵かは問題ではなかった。彼らはただ命を救おうとしていたのだ。それを捉えている映像があって、それまで僕が見たことない映像だった。
次第にそれは憎悪の戦争ではなかったことが分かってくる。
ふたつの集団の男たちが、他方と戦えと命じられただけの戦争だった。
だが、その場にいる者は誰ひとりとして、自分たちが何のために戦っているのか言えなかっただろう。イギリス兵は、ドイツ兵も自分たちと同じ立場にいると感じていたのだろう。
彼らは両方とも、同じようなひどい食べ物を食べ、同じようなひどい状況で生きていたので、両者の間にはお互いへの共感があった。
彼らはお互いを憎んではいなかった。お互いを同じような犠牲者だと感じていたと思う。こうしたことにはもちろん非常に驚いた。

Q:ほとんどの人々にとっての第一次世界大戦のイメージは、荒涼として悲惨で衝撃的なものでした。けれど、この兵士たちの多くにとっては、それは大冒険でもあったのですよね。

男たちがなぜ陸軍に志願したかという証言を聞くのは興味深かった。
この映画は、1914年の精神を反映している。戦争が勃発して、男たちはみんな徴兵事務所に押しかける。彼らは、戦争が数カ月で終わると思っているので、自分も一端を担いたい。
友人たちもみんな行くので、取り残されたくないのだ。それは冒険そのものだった。
入隊した者のなかには14歳という若さの者もいたが、自分たちは何のために戦うかという政治上の観点について考えた者なんてほとんどいないと思う。
また「これは、僕の命を賭ける価値があるものなのだろうか?」と考えたとも思えない。
彼らのうちのひとりが語ったように、入隊は故郷での退屈な仕事からの逃避だった。
それは、若者たちがなぜ第一次世界大戦に入隊したかの理由として得られる最高の証言だ。
最初、彼らは入隊を命の危険とは見ていなかった。退屈からの逃亡と冒険として見ていたのだ。
退役軍人たちが振り返って、あの戦争が人生で最高の時だったので、もう一度でもやると言うのを聞いて非常に驚いた。
だが、映画を編集しているとき、僕が常に考え続けていたことが一つあった。
それは僕たちが聞いているのは、生き残った人々の意見だということだ。
その人々は老人になるまで生きて、家族もある。仕事もあり、子どもや孫もいるのだ。
もし同じ質問を戦争で命を失った人々に尋ねることが出来るなら、あの戦争が何だったかという意見は、この映画のなかで聞かれる人々の意見とはずいぶん異なったものになるだろう。

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Q:本作は、監督にとって最も個人的な映画だとお聞きしたのですが、その理由は?

常に自分が観たい映画を作るという点から言えば、僕が作る映画はすべて個人的なものだが、本作は違う意味で個人的なんだ。
それは祖父が第一次世界大戦に従軍したから。
僕の祖父は、開戦から終戦まであの戦争を経験した。実は、第一次世界大戦が始まる4年前にすでにイギリス陸軍の職業軍人だったんだ。
祖父は陸軍に留まりたかったそうだが、1919年に身体的な理由で不適格だと宣告された。
第一次世界大戦後、祖父の健康状態は急速に悪化したから。
1930年、僕の父はまだ10歳のとき、祖父を背負って階段を上がっていた。祖父が自分で階段を上がれなかったからだ。
そして、祖父は1940年に亡くなった。残念ながら、僕は祖父に関する文書などを何も持っていないし、手紙の類もない。
日記もない。少し写真があるだけだ。だが、ある意味、この映画の制作中に僕はこれが祖父の体験したことを学ぶチャンスだと感じた。
退役軍人たちの600時間のインタビュー音声を聞いていて分かったんだ。
彼らの証言がみんな驚くほど似ているということを。彼らはみんな同じ食べ物を食べ、ノミやネズミに悩まされ、爆撃に苦しめられた。
もちろん、彼らは様々なやり方で対処していたが、彼らの生活は同じだった。

Q:本作への反応については、どう思いますか。

この映画を見た人たちは、僕が3年前に最初に映像の復元方法を調べた時と同様のリアクションをするだろう。あの時の衝撃は、今も僕のなかにある。僕たちは帝国戦争博物館から送られた素材をすべて復元し続けているので、今日も復元されてきたフィルムを見る。 そしてフィルムを見るたびに驚きをおぼえるんだ。
若者たちはこの映画を見ると、家族に第一次世界大戦に行った者がいるか尋ねるだろう。
だが、それも一部の若者にすぎないかもしれない。第一次世界大戦は、歴史であって、過ぎ去ったことで、自分たちとは何の関わりもないと思っているからだ。
だが、もし彼らがこの映画を見て、両親や祖父母に「家族の誰かで、あの戦争に行った人がいる?」と聞けば、祖父や大おじが「私の父さんはあの戦争に行った」と言うかもしれない。
あの戦争に行った者が生き残っていなくても、若者たちは実際にあの戦争で戦った父や祖父を持った人たちから一世代しか離れていないのだ。
今は、忘れ去られる前に、質問をして話を聞ける最後のチャンスかもしれない。20年、30年後に次の世代が死んだら、永遠に忘れ去られることだろう。
だから正直に言うと、僕はこの映画の影響として、若者が第一次世界大戦に従軍した家族や家族の歴史について見つける刺激となることを願っているんだ。

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Q:このプロジェクトに携わって、今どう思いますか?

帝国戦争博物館から提供されたフィルムは、主にイギリス人に焦点が当てられていて、BBCの音声は、完全にイギリス人の視点からだった。
100時間のフィルムと600時間の音声があって、その素材の中に10〜12の映像があるが、初期の段階で僕たちはすべての素材をカバーするのは無理だと思った。
だが中には、海軍兵や初めて従軍した女性たちや大英帝国のあらゆる場所から来た植民地部隊などの、素晴らしいショットもある。
ANZAC(オーストラリア・ニュージーランド軍団)の物語、ガリポリ、メソポタミア、看護の話……そんな素材ひとつひとつからも映画を作れる。
それに僕たちは、フランス、アメリカ、カナダ、ドイツなどの保存記録にあった物についても触れていない。それらの記録にある人々の声を使えば、第一次世界大戦の他の面を掘り下げる機会は山ほどある。
この映画は、ひとつの章にしかすぎない。これはあくまで西部戦線のイギリス人歩兵たちで、他にも多くの映画が作れる。僕は、自分たちがこの戦争のドキュメンタリーへのドアを開くことができればいいと思っている。
インタビュー記事提供・協力:アンプラグド