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木村大作ロングインタビュー

- 最新作「散り椿」と、その映画づくりへの想い -

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9月28日に公開の映画「散り椿」(東宝)は、 日本映画界を代表するキャメラマン木村大作氏の監督・撮影作品3作目にして初の時代劇となる注目作だ。映画「隠し砦の三悪人」(1958年)から「どですかでん」(1970年)まで、黒澤明作品に撮影助手として携わり、フォーカスマンの名手として黒澤明監督や宮川一夫など当時のキャメラマンからも高い評価を得た。さらに「八甲田山」(1977年)、「復活の日」(1980年)、「駅 STATION」(1981年)、「火宅の人」(1986年)、「鉄道員(ぽっぽや)」(1999年)など多くの日本映画の名作でキャメラマンを担当。
2009年に初監督作品として自ら脚本、撮影も手掛けた映画「劔岳 点の記」では、第33回日本アカデミー賞最優秀監督賞、最優秀撮影賞に輝く。それまでに日本アカデミー賞最優秀撮影賞をはじめ20回以上の受賞経歴を持つ。

一時は監督引退宣言をしたが、映画制作への強い思いから撤回し第2作「春を背負って」(2014年)を制作。そして今回、3作目にして初の時代劇「散り椿」を完成させた。
本作は、葉室麟による同名小説の映画化。享保15年、かつて藩の不正を訴えたが認められず故郷、扇野藩を出た瓜生新兵衛(岡田准一)が、病から死を迎えようとする妻、篠(麻生久美子)の願いで、里の散り椿を確かめに戻る。そこで、かつての親友であり、篠に好意を持っていた榊原采女(西島秀俊)と再び出会う。

撮影は時代劇としては珍しく、富山・彦根・長野で全編オールロケで行われ、日本の美しい四季が随所で撮影されている。この’美しい自然’と、木村キャメラマンによる’美しい画’、そして豪華俳優陣による’美しい佇まいと生き様’が織りなす《美しい時代劇》には、黒澤明監督や俳優・高倉健との出会いから得たものと、木村監督自らの映画に対する深い思いが込められている。
黒澤監督へのオマージュともとれる最新作「散り椿」の撮影エピソードと、木村監督ならではの映画哲学、その美しい映像描写について、大いに語って頂いた。
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「散り椿」
岡田准一、西島秀俊、黒木 華、
池松壮亮、麻生久美子、他

監督・撮影:木村大作
脚本:小泉堯史
原作:葉室 麟「散り椿」(角川文庫刊)
音楽:加古 隆

2018年9月28日全国公開

©2018「散り椿」製作委員会

「自分もそうありたい」というものを映画化

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今年で映画生活62年目になるね。監督作品に関しては「劔岳 点の記」(2009年、以下「劔岳」)以降、3本。自分は、こういうのが望みだったっていうか、そうありたいっていうものを全部映画化しているよね。
「劔岳」は、ただ地図をつくるためだけに、人に与えられた仕事を、名誉も富も求めず、黙々とやっている人たちの話だよね。俺もそうだなと思ってやろうと思った。
「春を背負って」(2014年)は’徒労’。無駄な骨折りを分かってて、そこへ突っ込んでいく人生を送りたい。何の苦労もなくそこに到達できる人なんていうのは、世の中にいないよ。それで「春を背負って」をやろうと思ったわけ。

今回の「散り椿」で岡田准一がやっている主人公は、自分の投影っていうかね。自分はこうありたいなっていうものをやってもらっているっていうことなんだよ。監督をやるときに、監督の一番大事なことはその作品の精神(になること)だって、よく言っているけどね。
映画って嘘でいいんだっていう人もいるけど、そういう形で監督をやるっていうことは、俺はできない。だから、何のためにやるかっていうのをいつも考えるわけよ。面白い小説を読んで映画化したいなって思っても、なんのために、っていうのを探すのに時間がかかる。
「散り椿」には原作にないセリフがいっぱい出てくるけど、それは俺のセリフなんだよね。岡田准一が劇中で「できることは何でもやる」っていうんだけど、これも俺のセリフだよ。俺も、できることだったら何でもやる。やりたいと思っているわけだよ。

これは原作の中にあったんだけど「大切なものに出会えれば、それだけで幸せだと思っています」っていう、その言葉で、あ、これで映画ができる!って思ったわけよ。大切なものってのはさ、人であったり、ものであったり、自然であったりするんだけど、俺もそういう人生だよ。大切なものに出会ってきていまがあるわけ。
一番最初に18歳で映画界に入って出会ったのが黒澤明だよ。最初に凄い人に逢っちゃったわけ。そこで、学んだっていうか、この人凄いなって思ったことが、いまだに尾を引いているわけだよね。その次に出会って凄いなと思ったのが、高倉健だよ。彼は俳優さんだけど、「八甲田山」(1977年)で出会った。そういう人に出会ったことで今の自分があるんだよね。ほかにも色々な監督と何遍も出会っているわけ。それで今があるんだよね。ということは、「散り椿」は、俺の人生やるのと同じじゃねえかと思ってる。

「散り椿」出会いから映画化まで

14年の冬に「散り椿」の原作に出会って、これだったら映画にしようかなと思ったんだよ。時代劇は、ある程度その時代の言い回しがあるから脚本は誰かに頼みたい。そこでふと思ったのは、小泉堯史さんですよ。小泉さんとは、実は一緒に仕事したことないんだけど、あの人が黒澤さんの内弟子になったのは『影武者』(1980年)の前からで、俺が黒澤組やっていたの『どですかでん』(1970年)が最後だから、ちょうど入れ違いだね。ときどき、成城あたりで黒澤組のスクリプターだった野上照代さんを入れて、メシ喰ったりしていたわけ。そういう付き合いだけど、シンパシーはあったな。

だけど小泉さんは自分の作品しか書かない。だから野上さんにお願いしたら、小泉さんに連絡してくれたんだよ。その一週間後ぐらいに、小泉さんがペラを送ってくれたんだけど、ほんとうにまとめがうまい。それで連絡したら「じゃ、大作さんを応援するために」って承諾してくれたんだよ。ただあの人ね、時代劇でもね、チャンバラ(のシーン)書かないんだよね。しょうがないから、自分でそういう部分を主に書いたんだ。
脚本の完成までに一年ぐらいかかってる。最終的には、5刷ぐらい刷ってる。その後もクランクイン前までセリフのやりとりを電話でしてたね。そういうやりとりをして脚本が成立した。それで撮影に入ったんだけど、やっぱり現場っていうのは、 自然条件とか、役者同士の感覚とか、いろんなことで動くわけね。要するにセリフっていうのは、俳優さんが、そういう雰囲気になって入れば要らないわけだ。その典型が高倉健です。
映画をつくるときに、脚本が大切なことはわかってる。でも、本は所詮、最初のものであって、映画ってキャスティングだね。もうその俳優さんを決めたときに、出来がはっきりしてくるんだよ。だって、その人がぴったりだって思って選ぶわけでしょ。その人がダメだったらダメなんだよ、映画は。

主演を選ぶ

岡田准一には「追憶」(2017年、降旗康男監督、主演・岡田准一)で初めてあったんだけど、その前から主役は岡田に決めていた。感覚的なところで決めたんだ。自分の直感みたいなね。浅野忠信を『劔岳 点の記』の主役に考えたのは、本屋で見た雑誌の表紙に出てた浅野をみて、ああ、こいつだって。俺もこれで60年もこの世界でやってるわけだからわかるんだよ(笑)。ある一瞬のいい顔を見たら、映画であれを引き出せばいいんだ、っていう、そういう見方するよ。 一枚の写真でもその人間性が全部でている場合があるんだな。だから、ある意味恐ろしいんだよ(笑)。
俳優さんがキャメラの前で立って芝居しているときより、普段の日常のほうの、ある一瞬の姿を見つけて、それを映画の中で出してくれっていうね。そのほうが、その俳優の素晴らしさが出るな。

感情をそのまま撮る

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時代劇やると、みんな所作とか、座るときはこうしなきゃいけないとか言われるらしい。でも『散り椿』では所作とかつけてない。あれは全て自然なんだよ。時代劇でも浪人の話だよね。そんなのが家に帰って、ちゃんと正座して向き合って話したりするかってことだよ。(僕らと)同じ人間なんだよ。江戸時代だって家に帰ったら、ダラっとしていたはずだよ。脚を投げたり、あぐらかいたりね。映画の中では結局、岡田准一が正座したのは仏壇の前と城中で殿様にあったときしかしてないよ。
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冒頭の麻生久美子とのシーンでの俺の注文は「顔を近づけるだけつけてくれ」ってだけ。このシーンの感情なんか、なんにも言わない。もう、ほんとうに愛し合っているっていう、二人がね。二人っきりなんだから。家帰ったら普通はそうなるんだよ。そうしたら岡田がさ「じゃ又の間に入れて良いですか」って(笑)。正座と正座だったら、膝と膝がついても、そうはならないんだ。そうしたら顔があれだけくっついたわけ。それでいいよって。それがフルショット入っているわけですよ。でもそこを誰もいやらしいと思わないし、良い形になっているよね。そういうことなんだよ。時代劇だからこうあるべきだっていうよりも、人間の感情をそのまま撮ったほうがいいってことだよ。俺のはね、そういう映画なんだよ。だから割合、自然に見えるはずなんだよ。

映画を演出する

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相当な部分を役者に預けるよ。で、役者もさ、思い切ってやってくるよ。それを見る目が重要だってことだね。俺は現場で台本見ながらいちいち役者に演技指導なんてしない。そういうのは嫌いなんだよね。彼らだって分かってる。俺の演出はいつも一言だけ。鼻と鼻がぶつかるぐらい近づいてくれ、とかね。でもこれは良く考えたら、演出だよな。出演者に演出なんかしねえよって言ってんだけど、実はそういうやりかたの演出はしているかな。ただ感情はなんの説明もしない。それなりの役者は、演技力ってみんな持ってるからね。
竹藪の中で練習してて、井戸端歩いて行くシーンのテストを1回やったとき、岡田が桶をバーッとこぼしちゃったんですよ。そしたら、黒木華の足元に水がジャーっと流れていって、「ああっー」っと微笑したんだよ。で「あ、その芝居、本番でやってください」って。女性としてものすごく可愛い仕草だったね。テストでは偶然だったんだけど、それ、お願いしますって。そこで言ったのは「この演出だけは黒澤さんにはできません」って(笑)。二人の感じが良い感じになっているよね。これからを暗示するような。そういうところを見つけるのはうまいんだよ、俺は(笑)。
ある俳優さんから、大作さんは「俳優には演出しないけど、映画を演出している」って言われた。これはもう大好きな言葉だから、自分でも使うことがあるんだけどさ。

「散り椿」撮影

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撮影は2017年の5月15日から、7月6日まで。あとは編集入れて制作期間は2カ月ちょっと。編集も撮影現場に呼んで作業させて、10日に一回ぐらい呼んで、ロケが終わって帰ったときはもう5分の3はつないでたよ。
撮影は多重キャメラで最大5台使っている。最初の麻生久美子と岡田准一のシーンは5台。本番の撮影はワンカットで1回だけ。キャメラ位置も挟み撃ちを平気でやってる。ライティングが結構難しいんだけど、それを可能にしているんだよ、俺は。
キャメラ位置を決めるのに時間かかるんだけど、ワンカットだから、ロケーションだけど4時ごろには完全に終わってる。90%、一発OKだから。
それをワンテストぐらいしかやらないから、俳優のほうもみんなわかってくるわけ。だからセリフをとちりましたなんて、誰もいないよ。木村組っていうのはそうだと思ってきているから。だから最初から本番いけるぐらい入ってるよ。ライティングは難しいところあるんだけど、でも、そのほうが芝居が絶対良くなるから。そういうシステムで、ずっとやってきているけどね。
最初テストやるときに、だいたい自分も役者の動きを考えながら、こうだろうっていうんで、一応、 キャメラを全部置かせる。で、役者も、どこから撮られるかっていうのがわかるわけだよ。それで動きにあわせてキャメラ位置を変えたり、役者の演技や動きを変えたりするんだ。そしたら黒木が「大作さんの現場は噂で、言う通りにやらないとえらい騒ぎになるって聞いてたんですけど、実際は違うんですね」ってニコニコしてたね(笑)。
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「劔岳 点の記」は2009年に封切られたんだけど、俺の組はそこから生き残っているのが8割だから、みんなもう分かってるんだよ。ずっとつながってるやつだから、(撮影が)終わるとみんな電話してくるよ。大作さん、次回作はどうなってるんですか、早くやってくださいよってね。

美しい時代劇

「散り椿」は「美しい時代劇を撮るんだ」っていうことも最初から言ってたね。 それは人の心を含めて。構図も、雪、雨、それに散り椿がばーっと散っていく風。それは全部、黒澤明だね。そこからきてるよ、やっぱりね。

なんで時代劇やったかっていうと、チャンバラやりたかったんだよ。チャンバラって殺陣とかいうけど、言い方がちょっと安っぽいんだけど、やっぱり「チャンバラ」なんだよね。チャンバラはあこがれだよ。それをまったく新しいように見せるためにはどうしたらいいかっていうと、普通のチャンバラのシーンって、見せ場は全部、ばーってやったら寄るとかカットを切り交えてるでしょ。でも俺はぜんぶ、チャンバラはワンカットで撮る。だからどのカットも、割れてはいるけど、あれは全部多重カメラで撮っているんだ。すべてワンカット通しでやるから、それに耐えるように練習してくれって言ったんだ。で、今回もそれでやってたよ。

黒澤さんのチャンバラも全部ワンカット。「用心棒」で腕が飛んだときに寄りのカットを入れたけど、それぐらいかな。今の日本の映画界ではあんまりないよ。そういう意味では逆に新しいんじゃないかと思ってる。だからけっこう、今回の作品は、チャンバラが美しいっていう人いるよ。

佇まいを撮る

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雨の量が尋常じゃない。黒澤さんの「七人の侍」(1954年)も、雨降ってるし凄かったけど、よく見てみればあんまり降ってないんだよな。下の泥水でみんなごまかされるんだ。でも、俺の雨は、大雨をほんとうに降らせてて、消防ホースが20本ぐらい使ってるからね。しかも最初からホースつぶしてないよ、そのまま全開だから。

役者の顔なんて見えないけど、見えなくていいって言ってる。見えない方が、感情が出るって。なんであんだけの豪雨にするかっていうと、感情を表現したいんだよ。絵全体で表現したいんだ。それだから、量がまともでないのはわかってる。その豪雨の中の、ぐわーっとなった感情が入っているわけだから、あれで心情が出るんじゃないかと思っている訳ですよ。
俳優さんの表情って確かに重要ではあるけど、それで出ないものはなにか?それは’佇まい’なんだよね。その典型がまた、高倉健さんになっちゃうんだけど。健さんの一番いいなあ、という姿は後ろ姿だもんね。あの後ろ姿にね、人生が全部出てるね。背中に。だから、そういうものを撮りたいなあって、いつも思っているところあるんだよ。人間の佇まいを撮りたいと思っていつもやっているね。

”殺陣師”岡田准一

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黒澤さんの場合、チャンバラシーンは殺陣師もいるんだけど、剣道の師範が見ててOKを出していた。黒澤さんが殺陣について指示をすることはなかったけど、殺陣をワンカットで撮ろうとしたのは黒澤さんの考えだよ。
で、それに対応できた三船敏郎さんが凄かったわけ。あの人のスピード感とダイナミックさ。あれは凄いんだよ。でも、俺は岡田准一とやって、ダイナミックさは三船さんには負けるけど、スピードは岡田のほうが上だと思ったね。もう肉眼じゃわかんないもん。俺はコマでちゃんと入っているかどうか見るわけですよ。そしたらちゃんと刀で切ってるし、こぶしでも全部ね、ちゃんと入ってるんだよ。あんまり早すぎるんで、現場では俺自身が確認できてないよ。実はほとんど彼が殺陣をつけたんだ。彼は若い頃から色々と修練してるし、並みの役者とは違うよな。

本物のちょんまげで出演

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今回、俺が切られ役で出てるんだよ。それはずっと考えていたんだ。日本映画界はちょんまげってのは、かつらって決めてるわけだよ。みんなスケジュールがあるから、実際に俳優がやるのは無理なんだけど、ほんとうは時代劇出るときは、ほんもののちょんまげ結って出てこいっていう意識があるわけだよ、俺には。

今回は監督やってるんだから、ずっとやるつもりになってたんだ。だから、ちょんまげを結えるくらい、髪を伸ばしてましたよ。それであるとき、頭のてっぺんを剃って本物のちょんまげを結ったんだよ。それで出たの。で、ほんもののちょんまげはこれだよって。髪結が、かつらはずっと作ってきたけど、人生で初めて本物のちょんまげ結ったってさ(笑)。そして、そのシーンのキャメラを廻したのが岡田准一なんだよ。彼は「追憶」でも撮ってたからね。映画全体について興味があるんだよ。だから、裏方の仕事もつぶさに見ている。追憶のときもワンカット、望遠の250mmのパンがあるような難しいカットをやらせたら、3回だけやったんだけど、全部きれいにフォローしてたね。

黒澤明

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黒澤さんにはなかなか迫れないけどね。俺は黒澤組で育ったようなもんだから、なんとか、やっぱりそういう意味では迫りたいと思っているところあるよね。でも黒澤さんに勝つんだ、というような思いはないですよ。あの人の映画を超えるのは、不可能だから。

例えば(映画「用心棒」の)宿場町を、作らせちゃうというようなことはできないよ。西部劇みたいに、通りを10何人並んで歩けるような道幅にしたわけだよ。そんな宿場町、日本にはないよ。黒澤さん、10何人が向き合って対決するのをやりたかったんでしょう。映画的に。だからああいう宿場町をつくらないと、できないわけですよ。あの宿場町、今作らせたらあれだけで数億円くらいいくんじゃないかと思うよ。全部本物だからね。家屋の中も撮れるようになってる。もう、本格建築だよ。
それだけのお金を引っ張ってくる力はないですよ。だから「俺が映画をつくるときは本物があるところへ行く」って言うんだよ。俺らが苦労すればいいんだよ。「散り椿」も、出てくるところはほとんど富山の重要文化財や大自然だね。我々がそこへ行って、撮れば良いじゃないかっていう話。俺の映画はそういう迫り方だな。とにかく俺にとって映画ってのは、=黒澤明なんだよ。

レンズの向こうを完璧に

黒澤さんってそういうことを言ってんだろうなと、思ったことがある。キャメラの向こう側の被写体を完璧にすりゃあ絶対映ったものはいいんだって。それは大自然や、セット、美術的なもの、それと俳優さんだよ。映すものを良くしろっていうんだ。黒澤さんが言葉でそういったわけじゃないけどね。俺はそう思ったね。

例えばヴィスコンティなんか、お城なんか全部本物だもんね。ヴィスコンティはワイドの人だよ。黒澤さんは望遠だよ。だから、ものすごく距離がいるから金が掛かるんだ。ヴィスコンティってさ、ワイドで撮ってもなんでも映ってるもんが、全部本物なんだよ。
ワイド使って様式美にこだわって、空間を多く入れてって構図にこだわるキャメラマンもいるけど、それ(被写体)が本物なら絵になるよ。だけど、その構図を生かす被写体がどうしようもなきゃ屁だよ、そんなの。

監督とキャメラマン

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キャメラマンだけやってきた時代も、そういう要求を監督にしてたな。「復活の日」の南極シーンを北海道で撮ることになって10日間ぐらいハイエースに乗ってやったんだよ。だいたい海岸線を、毎日行って、この辺にこういうところがあるからいいとか。俺、そんなの見たってしょうがないと思って、 一度も車から降りなかった。もう、これだったらこの仕事やめようと思ったわけ。あれは南極いかなきゃ撮れっこないよ。そして実際に南極で撮ったたんだよ。

撮影監督として、監督といろいろやってて、俺と初めてやると、あ、撮影監督は木村さんみたいな人のことを言うんですね、って言うな、みんな。だって、そりゃあさあ、役者のことからなにから、全部言ってくるわけだから。
結局、監督もプロデューサーとか出資側に自分では言えないわけだ。だから、俺が代わって言ってる場合もあるんだけど、そういうことを平気でやるキャメラマンだから、あまりにも出過ぎていると思ってるんだろうね。でも自分はさ、キャメラって映像の責任者だからね。なんで言っちゃいけねーんだよ!って話だよね。

人によっては、監督やったらキャメラマンは誰か他人にやらせろっていうヤツがいるけどね。俺はキャメラ覗いてきてずーっとやってるから、覗いた瞬間にいろんなアイデアが出てくるときがあるんだ。それを失うのはイヤだな。監督やろうがなにやろうが、キャメラだけはずっとやっていこうと思うね。

監督とキャメラマンをいっしょにできるのは、理想的だね。 両方の視点からやれる自分が嬉しいと思っているよ。でもさ、俺がそうやって押し出していった原因は、キャメラの仕事が来なくなったからだよ(笑)。いや、ほんとに。一時はこれで引退かと思ったからね。でも映画、面白いしなあ、どうしたら映画界に残れるだろうかと考えたときに、ああ、そうだ、企画、製作、プロデューサー(お金集め)。そして監督、脚本、撮影まで全部やってね、相手が乗ってくれたら出来るんだよ。これでいこうと思ったね(笑)。

実景へのこだわり

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映画の話ってだいたい期間として一年以上の話ですよ。「散り椿」も、「もう一回、散り椿が咲くのを待つ」ぐらいだから、一年ですよ。だから、四季の情景を入れたんだ。そういう状況を時間経過で見せるってことは、俺の関わったどの映画でもやってるね。台本になくてもね、ここ冬にしましょうよとかってやるぐらい。「極道の妻たち」やってても、台本にはそんなこと書いてないよ。でも、 日本の場合、四季がはっきりしてるんでね。

「散り椿」でも、紅葉や、雪、夏の入道雲とかちゃんと日本の四季のいい景色がある。雨のシーンでもちゃんと庭にあじさいがあるしね。そういうのは、相当神経使ってやってるよ。これからも、確実にああいうのが出てくるね。やっぱり自然が好きなんだよ。日本の自然が好きだね。『散り椿』の冒頭のタイトルバックは北アルプスですよ。手前は春だけど、奥は残雪があるわけだからね。 日本って、すばらしいのは、春なのに雪山が見える。紅葉も。俺、世界70カ国ぐらい回ってるけど、あんなきれいな紅葉ってのは、日本しかないよね。だから、そういうものを、日本の話なんだから、俺は入れた方がいいだろうと思ってる。

高倉健が、自分が出ている「八甲田山」観てて号泣してたんだけど、それがどこかって言うと、 田んぼの田植えをパンしているカットがあるんだけど、それを見て「大ちゃん、不覚にも号泣した」って言うんだよ。日本人なんだよな高倉健も。我々は米食って生きてるんだから。そういうものってあるんだよね。風景のほうが人間以上にものを語っている場合があるね。だから、それにものすごくこだわるんだよ。

実景撮影の旅

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俺の撮ってる実景ってね、がんばってがんばって待って撮るからね。 そんなに簡単には撮れませんよ。ぜったい悪いものは回さないし。暇なときはふらっと撮影旅行に出かけるよ。行っちゃうかあ、って言って。ARRIFLEXの2C。要するにサイレントキャメラ。1939年製だから、俺と同じ歳なんだよ。これを車の後ろに積んで、旅に出るんだよ。かっこよく言えばね。それも目的地決めないでなぁ。全国のビジネスホテルの本持って泊まりたい所で泊まって、メシはその周りで喰って、あとは寝るだけ。たまには安い温泉宿泊まったりね。結構天国だよ。なかなか気が晴れるしね。

北陸とか、端が好きだからなあ。だいたい半島だよ。能登半島、男鹿半島とか竜飛岬、潮岬、四国の足摺岬とか。大体そういうところは変化が激しいからね。天気も何も。ただキャメラ据えてぼーっとね。海見てるんですよ。たばこ吸いながら。そんときになんかね、人生を感じるね。だから、好きなんだ。撮れなくてもいいんだよ。自分の精神状態が安定すんだよね。で、いいものあったら回せばいいんだから。

そこでまた、新しいことを思いついたりするわけ。不思議だよな。それから、高速でトンネル入ると、ふわーっと、イメージ湧いてくるね。あの、トンネルって異空間だよ。ふと、なんか出てくんだよ。そういう経験するとね、どっかいかなきゃっていう感覚が湧くよね。自宅にいたんじゃ、なかなか出てこないんだよ。 遠くの方から望遠で、実景撮影をしている俺の姿を撮っときゃね。相当なインテリに見えるよな、っていつも思いながら、崖の上でね(笑)。

「劔岳 点の記」

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「劔岳」のときも、10日間、能登で波を狙ってたんだけど、撮れないわけだよ。能登の荒波の日本海。2月だよ。撮りに行って10日いたんだけど、もう波なんかぜんぜん来なくて、 過去に竜飛岬のすごいの撮ってるから、それ以上のものが来ないと回さないよね。 しょうがねえから、東京帰ろうと思って、北陸道乗ったら、日本アルプスがフロントの斜め前に見える。2月の真っ白な日本アルプスがうわーっと、見えてたんだよ。それで、しばらく、うわー、やっぱりすげーなー、って思って見てた。
そしたら、あ、そういえば新田次郎さんの本で、劔岳ってあったなって。そのときはやる気も何もないよ。でもさ、1回、劔岳拝んで帰ろうと思って、高速を立山で降りて、これまたキャメラマンの感でさ、俺は良いとこ探すわけだよ(笑)。ああ、ここだってところに車停めて、もう一回、劔岳を読んでみたんだ。そうすると、これは映画にする価値があるなぁ、と思ったね。ものすごい大自然を撮れるっていうことでね。測量だけだとドラマがない。でも、ドラマは大自然がつくる。そう、ドラマは大自然がつくるんだよ。その原点がやっぱり「八甲田山」なんだ。あれは死ぬために歩いてるようなもんだからね。だから、大自然がドラマを作っているわけだよ。あれがなかったら「劔岳」やろうっていう考えは絶対起きなかった。

女優からの要望

まあ、いつも思うけどさあ。俺、女大好きだしさ。男と女しかいねえんだもんなあ。次考えているのも、そういうところあるなあ。いい女を撮りたいっていうか。
吉永小百合とか岩下志麻とかさあ、そういう人たちから大作さんに撮って欲しいっていう要請があって「北のカナリアたち」だってやってるし、昔からあったよ。だから俺、東映の京都時代ってのは、女が主役のものばっかりやっていたよね。今や大女優のすごい人たちから、キャメラは木村大作にしてくれって要望は前からあったよね。だから、女性は、俺に撮られたらきれいになるっていう意識をみんなもってたよ。

女性を撮るときはものすごい神経使うもんな、いろんな意味で。女が映画に出てたら、そりゃマドンナだからね。それをさあ、美しく撮ってあげないとさあ、そりゃあ映画にならないだろう。美しく撮らなきゃいけない人をやってるわけだから。そりゃ美しく撮るって。もう、単純な理由だよ。どんなに芝居がうまいと言われる女優でもね。やっぱり美しくありたいと思ってますよ。だから俺は約束するわけ、俺が撮るんだからぜったい美しいから大丈夫ですって、安心感を持たせて撮っているから。

映画って、いろんな多様性があっていいわけだよ。やわらかい絵でも、だいたい、名作と言われるものは、みんな柔らかいよ。軟調だよ。最近、アクション映画みたいのが多いから、それは硬質だよ。でも、俺はやっぱり女性を撮るときには、そんな硬質な絵は違うと思うな。昔の「黄昏」とかあるじゃないか。いろんな名作を思い出すと、みんな軟調だよね。女性が主役の映画はね。

キューブリック

一番影響を受けたのは、スタンリー・キューブリックだよ。「2001年宇宙の旅」(1968年)。あれから相当な宇宙映画が出てるけど、あれを超える宇宙もんって、ある? それから「バリー・リンドン」(1975年)。ろうそくの火だけで撮るために、全部レンズをつくってね。キューブリックってのはさあ、やる作品全部違うんだよな。キャメラマンとして見ていたときに、話の中身というより、技術的にうわーと思うのはキューブリックだよな。なかなかあそこまではいけないよなあ。あれこそリアリティなんだよね。
最近はキャメラの性能も良くてなんでも映るからさあ、トップライトだけ点けて全部映ってて、それでいいなんて言ってるけど、特に今の日本映画界はライティングっていうのをやってないよな。俺もいくつかの組を見に行ったけど、要するに下にライトが置いてねえもんな。あれはさあ、映画撮ってることになんのかなあと、思うわけ。
例えば「散り椿」では、外全部収まってるよ。窓外も見えてる。ほとんど、ノーマルな感じで映ってるよ。今撮っている人たち見ていると、全部白飛びだよ。外真っ白け。それでなんか良い良いって言ってるけど、おまえら間違ってねえかあと。
俺は撮影手法でね、演出も含めて今、一番(俺が)新しいんじゃないかと思うぐらいだよ。でもそれは昔覚えたことを、何十年前に覚えたことをやってるだけなんだよ。今はキャメラもみんな良くなってさ、これだけで撮れるってやってるのが、それが新しいのかよって、言いたくなるね。

目測でフォーカス

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俺は別にフィルムにこだわっているわけじゃないんだよ。デジタルでもなんでもいいんだよ。でも今からさあ、そんなの覚える時間はないなという気持ちと、フィルムだったらもう、メーターなくても絞りが出てくるからね。昔フォーカスをやってた時、俺は巻き尺で測ったことなんかないよ、みんな目測でやってたんだから。 黒澤明監督の「用心棒」とか、全部目測ですよ。俺はそれで有名になったんだよ。ぱっと被写体みたときに、何フィートって、もう頭の中にファッと出るんだよね。

あの宮川一夫さんが「用心棒」のときに、俺の後ろで見てて「大ちゃんは世界一だね」って言ってくれたからね。そりゃ、俺もかっこつけてやってたからねえ(笑)。かっこよく見せようっていう意識がものすごく旺盛だったよ。だからいちいちスケール持っていってね、俳優のところいってね、いやがられてさ、帰ってくるよね、それで、なんかそんなことやってる、あの姿がいやだったんだ。
で、俺は陰で目測をものすごい訓練したな。いろんな方法で。目測をものすごく磨いたね。撮影所の裏にキャメラを据えて、走ってるやつをキャメラで追って、(人物が)突然止まると同時にピントを送っている手を止めて、それを巻き尺で計って正確さを訓練したんだ。撮影所の誰も見ていない裏のところで、助手仲間を二人ぐらい連れてよくやってたな。

台本は持たない

俺の台本ってほんとに墨だらけだよ。直しが多いし自分のイメージをコマで描いたりしている。で、撮影終わったら監督に失礼だから全部捨ててるの。だから残ってないんだよ。俺、いまだに現場に台本もってかないから。監督でも持っていかないよ。もう何にも持ってないでやってるよ。全部頭の中に入ってるから。
黒澤さんも現場に台本もってこない人だからね。だって自分で書いてるんだもん。だから、俺は頭の中に10通りぐらい考えて現場に行くよ。いろいろこう、こういう天気だったらこうしよう、こうだったらこうしよう、役者がこれに対してなんか言ったらこうしよう、ってね。何通りも考えて現場に行きますよ。だから対応力を、全部持ち合わせて行くってことだ。

後進

自分一人の面倒みるのがやっとなんだから、後進を育てるみたいな気持ちはないし、俺はなにも教えたって言う意識はないけど、まあ、見て覚えてるとは思うけどね。俺もそうやって育ってきたから。まあ、酒飲んでいっしょにメシ喰ったりするときは、こんなことあったよなあなんて話すことはあるね。話すと、みんな笑ってるけどね。今、おまえがそれやったら蹴飛ばすぞって言って(笑)。でも、1回ついて経験すると、次の時もつきたいってことになるよね。しんどいのはわかってるんだけど、しんどいけど、経験しておきたいっていうことはあるみたいだな。

夢がないとね

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映画ってさ、なんか、将来の何かを考えさせてくれるっていう、夢がないとね。例えばね、不幸な話を映画にするのが、一番映画的だっていう監督もいるけど、俺はちょっとは幸せもあったほうがいいよなあと思うね。自分の夢なんだよね。ちょっとさ、この映画見たらさわやかな気持ちになるなぁ、なんてね。でもお涙ちょうだいの映画もいやだし、なんだかドキュメント性のそういうのもいやなんだけど、「散り椿」見るとさわやかな気分にはなるんじゃないかと、俺は思ってるんだけどね。さわやかっていうか、清々しい。俺はそっちの方が良いなって思ってる。そういう映画をこれからもつくっていきたいって、思っているんだよなぁ。
次なる構想はもう、いっぱいありますよ。そのどれをやろうか。そのために一番大事なことは「散り椿」の興収が良いこと(笑)。興収が上がれば次がやりやすいんだよな、はっきりしてんだよ、俺は(笑)
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©2018「散り椿」製作委員会
Photo:貫井勇志 / Yuji NUKUI