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適正解像度という概念

石川幸宏 / HOTSHOT 編集長

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この10年、4K、そして8Kなど高解像度への進化とその過程を、その傍らでずっと見続けて来た。しかしここにきて多くの映像関係者から、その高解像度化の方向に疑念を抱く人も増えている。高い解像度が視聴者へ及ぼす影響は、観賞する際の視聴距離において、その有効性が変わってくることは周知の通りだ。

そもそも人間の眼には、解像度より階調のほうが、その視認性が高いことは証明されている。解像度はある一定距離においては、そのクリアーなイメージが感動すら及ぼすことがあるが、眼の性能を超えたポイントで、観賞する視聴距離が変わってしまうと、とたんにその魅力は伝わらなくなる場合もある。その点、階調が優れた映像作品では、視聴距離に影響されることは少なく、鑑賞者の印象にも大きな隔たりはないのである。

またいまの撮影現場で大きな問題なのは、カメラのセンサーのイメージサークルサイズと、基調となるレンズとフランジ、そしてプロセッサー性能がまちまちで、それらのチューニングがどういう場面において適正状態であるかを正確に把握しないと、同じ4Kセンサー、同レンズでも、その“LOOK”の差に大きな違いが出るということだ。

つい最近、全4K撮影・制作による、あるTVドラマを視聴した。国内の地上デジタル放送用コンテンツというだけでなく、今後の海外市場へ進出することも視野に入れたチャレンジングな作品である。

しかし、ここで目立ったのが、一部の4K映像では非常にその解像度が演出の一部として活きている部分があるものの、特に低照度のシーンにおいては、4Kゆえの難点であるフォーカス(ピント)の甘さが数多く目立ち、品質としても残念な部分がそのまま放送されていた。またそうした撮影時の失敗を上手く補い、表現が甘い部分を別カットで救うといった、編集作業でそれを再演出・再脚色するという“編集の基本”の仕事が、なにも成されていないのには疑問が残る。

ストーリー展開においても、基本的なエスタブッリッシング・ショット(状況説明)が、テロップのみで示されるだけのシーンも多々あり、観ている側は場面設定や主人公の状況が非常にわかりづらい。大半が映像編集の基本的な作法を軽視したものになっており、撮影解像度以前の問題として、その部分ではとても海外に出すのはむしろ恥ずかしい作品になってしまっているのは残念だ。

解像度に話を戻すと、例えば音楽の世界で言うなら、音の高解像度であるハイレゾで録音されているからといって、必ずしも音楽そのものや楽曲すべてが良いとは限らない。これからの高解像度化についても、その映像コンテンツの目的としてその解像度が何に作用するのか?その解像度を活かすストーリーテリングが出来ているか?その作品における“必要解像度”とはどのサイズなのか?このような点が今後、常に映像制作者に問われる部分になるだろう。

今号の特集では、劇場映画がすでに4K収録がスタンダードとなっている現況の中で、高視聴率ドラマ制作のプロフェッショナルが、あえて解像度よりも階調を意識した2K撮影・制作に挑んだ作品の舞台裏を紹介している。

メジャーコンテンツであるがゆえに、公開時の劇場上映から、ブルーレイ&DVD、そしてTV放送まで、どのような視聴環境でも、その没入感と世界観を失われないために、解像度よりも階調を重視した制作体制で作られた、その舞台裏の一部を紹介する中から、高解像度の価値とその意義をもう一度考えてみてはいかがだろうか。