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木村大作 映画備忘録 #1─ 黒澤明と望遠レンズ ─

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PHOTO: 貫井 勇志 / Yuji NUKUI

望遠撮影の頂点「用心棒」

黒澤明監督が望遠を多用した頂点が「用心棒」(1961年)で僕が22歳の時だった。
黒澤さんは当時800mmとか1000mmとか使ってたからね。
同じ画角なら望遠の方が画の力があるね。でも望遠で撮ると引きじりも要るからセットも大きくなるし、お金も掛かるんだよ。
あの宿場町のセットなんて、全カット200mm以上でしか撮ってない。
当時“黒澤さんのレンズ”というのがあって、それが200mmなんですよ。
あの撮影は最短ワイドで100mmくらいだったから、35mmや50mmをつけて撮ろうとすると、キャメラマンに、こっちを使え!ってよく言ってたね。
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黒澤さんはこの当時から芝居まで多重キャメラ(複数台のキャメラ撮影)で撮ってて、「用心棒」はAキャメラの宮川一夫さんが100mm、Bキャメラの斎藤孝雄さんは200mmとかそれ以上の望遠。
僕は斎藤さんに付いて望遠のピントをやっていた。
「市民ケーン」がパンフォーカスの最初の映画と言われてるけど、あれは広角だからね。本当の意味でのパンフォーカス作品の最初は、黒澤さんだったんじゃないのかな。
しかも望遠でパンフォーカスだからF32まで絞らないとピントが合わない。
だから光量が必要で、セットでも凄い量の照明を当ててたんだよ。
暑くて三船敏郎さんのカツラから湯気が出てたくらいだよ。

自然な芝居と空気感

黒澤さんが望遠を好んでた理由は、キャメラがそばにいると役者の芝居が変わってしまうので、望遠なら遠くから自然な表情を狙えるからだと思うね。
役者にキャメラを意識させないために望遠を使ってたんじゃないかな。
もう一つの理由は、その現場の空気感。霧の中から何か現れるとか、望遠の方がよりロケ現場の空気感がよく映るよね。
ものすごい量の雨とかスモークとか炊いてたから、いつも大型扇風機が現場にある組だった。
黒澤さんの場合、ただ撮ってるという画はまず無いよ。どのカットも何か足してたね。

一芸に秀でろ

撮影助手で黒澤組についていた頃、キャメラから被写体までの距離を巻き尺で測るのはカッコ悪いと思ってた。
だからカッコつけるために目測で距離を測れるようになろうと、誰も知らないところで目測で何フィートかがわかるように訓練した。
特に黒澤組が多かったから望遠をね。500mmで1mmでもズレたらピント外れるからね。
そのうちピントマンとして認められるようになって、当時は生意気な助手だったから、キャメラマンには人気がなかったね(笑)。
でもそれが結果的に後々役に立った。 いまの若い人に何か物を申すつもりはないけれど、一つ言えるのは「一芸に秀でろ」ということかな。
他はともかくピントを送らせたらアイツは凄い!と黒澤明や岡本喜八といった監督たちに言われたよ。色の濃淡や明暗はあとで調整できるけどピントだけはどうにもならないので、ピントを外すことを監督たちは恐れてた。だから腕のいいピントマンとして、その後、色んな監督たちからご指名が掛かったんだよ。