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全ての道は「ROMA」へ通ず

石川幸宏 / HOTSHOT編集長

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「ROMA」を観た。近年ここまで美しい映像作品は見たことがない。アルフォンソ・キュアロンという監督の才能に改めて感動した。監督自身も本作で「映画として伝えたいものを、きちんと伝えることができた最初の作品」と語っている。

ROMAとは、監督が生まれ育ったメキシコシティ近郊のコロニア・ローマ地区のことで、1970年ごろ自身が体験した事実を共に、ある一家に起きる様々な愛の形を映画化。偶然にもROMAは逆読みでは、AMOR=愛となる。

作品構造は、その全てが一連のメジャー作品と一線を画す。全編スペイン語によるモノクロ作品で有名な俳優は一切登場しない。また劇中音楽も一切なし。環境音のみで巧みに構成された演出で心情や場面を綴っていく。特に劇場版ではDolby Atmosでそれを体現でき、通常のドキュメンタリー以上の臨場感だ。これにより画面全体から湧き出る時代の匂いが、観客を70年代のメキシコシティへと一気にタイムスリップさせる。そして特筆すべきはキュアロン監督自らが撮影監督を務めたという、その圧倒的に美しい映像美だろう。批評家からも絶賛の嵐となった、演出家でないと撮れないであろう計算され尽くした構図。ARRI ALEXA 65という現在最高峰のカメラシステムを使って撮影され、周辺歪曲が殆どないパニングだけの自然なエスタブリッシングショット、絶妙なフレーミングとサウンドデザインが掻き立てるイメージマッチング。どの場面でも無駄のない秀逸な設計が行き届いている。単に情景描写にしても、演技シーンの登場人物たちと背景のバランスが絶妙で、その映像美学はあのスタンリー・キューブリックを彷彿させた。

本作が残したもう一つの大きな足跡がある。それは現代におけるネット作品の存在感と新たな価値観だ。制作予算は、ハリウッドメジャー作品と同様の1.5億ドル(約167億円)だが、1970年代のメキシコシティを舞台にして有名俳優も出演しない地味な企画に、メジャースタジオからは賛同得られず、結果的にNetflix製作の作品となった。しかし結果としては本作がネット配信作品として、史上初のゴールデングローブ賞とアカデミー賞のダブル受賞となり、特に米アカデミー賞では、撮影賞、監督賞、外国語映画賞の3部門受賞。劇場映画でなくとも本作の素晴らしさは認めざるを得なかったのだと思う。そして同時に、このことは世界の映像鑑賞=視聴の方法が急速に変化し、映像そのものの軸足がすでに過去のメディア=TVや劇場から大きな変革をしているという証明であったこと。

さらに違う側面でも問題が提起された。全世界で同時配信された後、Netflixがセリフの上に、スペイン式スペイン語の字幕を付けた。これにはキュアロン監督が強く抗議。スペイン語は約5億人と世界第4位の母国語率だが、大元のイベリア半島と中南米とでは、使用する単語など言葉自体が異なる。現在は撤回されたようだが、これは他の言語にも言えることで、今後ネット映画が活況になると、多様性がゆえの諸問題は増えてくるだろう。制作タームのスピード化とともに、多様性の問題はこれまで以上にセンシティブだ。

結果として「ROMA」は、映像技術とネットコンテンツの多様性という、これからの映画のあり方に重要なヒントを示す作品となった。