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「見知らぬ乗客」 クロスカットの使い方

- ヒッチコックのピュアシネマ 09 -

横山智佐子 / 映画編集者

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編集の基本的なテクニックの1つにクロスカットがある。映画の中で同時進行している2つの出来事を交互に見せるという手法だ。脚本上では別々に存在するシーンを、もっと興味深いものにしたり、時間を短縮したりする時によく使われるテクニックだ。サスペンスやアクション映画では、この手法によって緊張感やスリルを高める事にもよく使われる。サスペンス映画の大御所であるヒッチコックも、作品の中でこの手法をよく使っているが、中でも1951年公開作「見知らぬ乗客」は、その効果的な使い方に秀でた作品だ。
テニス選手であるガイ・ヘインズは、浮気性な妻との離婚を目前としていた。ある日帰途中の電車の中で、見知らぬ男ブルーノと同席する。ゴシップ紙でガイの事を読んでいるブルーノは、ガイが離婚を目前とし、上院議員の娘アンと恋愛中である事を知っていた。車上で昼食を共にする中、ブルーノは自分が父親を嫌っている事を明かし、赤の他人との交換殺人という奇妙な完璧殺人のアイデアをガイに話して聞かせる。馬鹿馬鹿しい考えだと相手にもせずブルーノと別れたガイだが、その後離婚を望んでいたはずの妻が、彼の新しい恋愛を知り離婚を拒絶し始めた事を知る。そしてその後ブルーノはガイの反対を押切り、彼の妻を絞殺してしまう。
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ユニークな撮影法でアカデミー候補に

この映画はユニークで効果的な映像で有名な作品だ。例えば地面に落ちたメガネに写り込んでいる絞殺シーンは、特別に作られた巨大な反射鏡を使って撮影された。暴走し破壊されるメリーゴーランドの場面は、模型を使ったショットを映写して撮影された合成映像だ。またトンネルの壁に映り出された背後から迫る殺人犯の影のショットなど、影と光を使った映像表現が多く、ヒッチコックの作品の中でもドイツ表現派の影響が最も強い作品だと言われている。ヒッチコックの12作品で撮影監督を務めたロバート・バークスは、この作品でアカデミー賞の白黒部門にノミネートされている。
冒頭で述べたクロスカットは、映画のオープニングから登場する。2人の人物に属する足のクローズアップが、交互にカットされる印象的なオープニングシーンだ。乗り付けた車を降りるところ、駅のホームを歩くところ、電車の中を歩くところと、両者の足は同じ様な画角とスピードで交互にカットされる。最後に車内で腰をかけた両者の足が、誤ってぶつかってしまうところで、初めて足の持ち主の顔が映し出される。ガイとブルーノのドラマチックなイントロショットだ。ここでのクロスカットは、2人の登場人物を効果的に比較する事に使われている。一方は派手で高そうな革靴を履いたブルーノの足が余裕有り気に動く。そしてもう一方は取り立てて目立たない地味なガイの足がそそくさと先を急いでいる。ヒッチコックはクロスカットを用いて、2人の性格と、さらには社会的地位の違いを、彼ら自身を紹介する前に観客に強く印象付けている。

そして映画の後半で、ガイを殺人犯として陥れるため、ブルーノはその証拠品となるガイのライターを殺人現場に持っていく。それを知ったガイだが、ブルーノを追いかける前にテニスの試合を終えなければならない。ここで現場に向かうブルーノと試合中のガイがクロスカットされる。簡単に終わると思った試合が長引き焦るガイ。一方もうそこまで来ているブルーノは、ライターを排水溝の中に落としてしまい、なんとか取り上げようと焦る。この両者のクロスカットに付け加え、テニスの試合のカットが交わる。両選手の間を行き来するボールのスピードが段々早くなるにつれて、ガイとブルーノの焦りと緊迫感が強まって行く。

緊張感とユーモア

クライマックスシーンでは、ブルーノ、ガイ、警察が遊園地で鉢合わせとなる。ブルーノは動いているメリーゴーランドに逃げ込み、ガイがそれを追う。一方誤って警官の銃弾に打たれた機械技師が、倒れる際にスイッチに当たり、メリーゴーランドが爆走し始める。メリーゴーランド上でもみ合うガイとブルーノ、そして恐怖に叫ぶ子供達とそれを見る大人や警察たちの顔がクロスカットされる。更にここで機械をストップさせるために、動いているメリーゴーランドの下を潜って這う男のカットが追加される。緊張感を高めるため複数の事を同時に進行させるのは、ヒッチコック作品の基本だ。また「理想的な追跡シーンは、そのテンポと複雑性が登場人物たちの関係の度合を表現しているものだ」とヒッチコックは言う。暴走するメリーゴーランドのスピード感とクロスカットのスピードは、ガイのブルーノに対する嫌悪感が最高に達している表れだ。そしてその場に居合わせるメリーゴーランドの客、打たれる機械技師、焦る警察たち、機械を止めようとする男など、ガイとブルーノを取り巻く複数のストーリーラインによって複雑に構成されたこのシーンは、殺人犯にされるかもしれないガイの混乱した心理状況をも表現している。スリル映画のこれ以上にないお手本となるシーンだ。
このクライマックスは、結末がどうなるか分かっていても、見るたびに手に汗握らずにはおられない見事なシーンだが、このシーンでもう一つ感心させられる事がある。恐怖に怯えた子供や大人のカットの間に、ワンカット、笑っている少年のカットが入る。スピードがいきなり増した事でジェットコースターに乗っているような感覚になったのであろうか、メリーゴーランドの馬に乗った少年が大きく高笑いをしている。緊張感がマックスに高まる時だが、思わず笑いを漏らさずにはおれないユーモア溢れるショットだ。緊張感をさらに高めるためにユーモアを使うのは、これまたヒッチコック映画のトレードマークだ。しかしながら、この場でのこの余裕。ヒッチコックにしかできない技だと感心せざるにはいられない。