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夢中の先にある創造

石川幸宏 / HOTSHOT編集長

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映像制作に関わる仕事は他の業種に比べて、クリエイティブな感性が必要な分野である。そこで使用される道具たちもまた、その指向性に沿ったものであるべきだ。ここで意味するクリエイティブとはあらゆる面で創造的であるということ、もしくは無から何か独自の感覚をもって生み出す独創性が必要で、まだ誰もやっていないことにチャレンジしている人やモノが常に求められる、という意味だ。
しかし最近思うのは、特に日本ではそのクリエイティブとは逆ベクトルの感性によって、合理的かつ打算的に生み出されたモノが非常に多いと感じる。海外に比べても見劣りするような、こうした事象や製品が多く、それは使う側や提供する側、そして創る側など業界全体にいえるのだ。一体その要因は何なのかを考えてみた。

例えば、ある映画会社の試写室で、やたらコントラストが高かったり、HDR作品でもないのに輝度が異常に強く見えて、問い合わせてみると2D作品なのにも関わらずプロジェクターの設定が3D上映用のモードのままで上映されていて、そのことにスタッフの誰もが気づかなかった。
また某ポストプロダクションの試写室では、毎日キャリブレーションしてはいるものの、基準の数値にあわせているだけなのか?原因は不明だが海外の仕上げの結果とは明らかに違い、どこか見え方がおかしい。
現場のカメラ設定でも、マニュアル通りの設定にしても現場では実際にはそうはならない。
など数え上げればきりがないが、そこに言えるのは、なにかそこで起きている事象に、ある種の「人間不在」を感じる。
日本のメーカーの技術力はたしかに世界一、だった。しかしいまは明らかに過去形でそれは海外の展示会や取材をしてみると明らかな違いが見えてくる。それは関わる人の取り組みと熱意が違う。
ハッキリいえば日本の技術力云々よりも、それ以上にそこに関わる人間力、その人の熱中度合い、アツさが違い、たとえ仕事であれ夢中の度合いが大きく異なる。そしてそこに大きな不安を抱くのである。

そもそも日本人は潔癖性で完全主義の人が多いが、技術の進化や効率性を求めるあまり、その反作用として、ある種の人間力が退化しているのは明らかだと思う。それは日本人に限らず先進国の人間はそういう傾向があると思う。業界に関わる人の中でもその人間力が感じられないような、本当に映像が好きでその仕事に携わっているのか?その製品が好きで作っているのか?甚だ疑問に思うことがある。もちろん「お仕事」なのかもしれないが、それが単に就業時間を満たすための短絡的な努力に陥ってはいないだろうか?そんな疑問が湧く瞬間がある。
それはせっかく美しい花が咲く種を、わざわざ不毛の地にさらしているのと同じなのではないか?「努力は夢中に勝てない」これは某有名アパレル企業のトップが言っていた言葉で、私も好きでよく使う言葉だが、単に短絡的努力を積み重ねても、そこに志が無ければ、意志のある人が夢中で成し遂げたものには絶対に勝てないのである。結果はやがて人間不在の事象となって必ずカタチに表れる。
いま一度その「夢中の先にある創造」について、改めて考えてみてはいかがだろうか?