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本能としてのシャーデンフロイデ

石川幸宏 / HOTSHOT編集長

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数年前、映像制作についての様々なセミナーを東京や日本各地で行っていた時期がある。そしていま、そのとき受講してくれた彼らが立派なクリエイターに成長し、各地域や現場で活躍する姿を見るのはとても誇らしく嬉しく思う。別に自分の教え子と言う訳ではないのだが、国際的な映画祭や海外の現場で活躍するクリエイターも多く出て来ると、彼らがこれからの日本の映像文化の発展に大きな役目を果たしてくれるだろうという期待も大きい。
こうして経験とスキルを積んで、自信を持って創作活動を行っていくことはとても好ましいことだが、その後、周囲に支持者や仲間が増えてくると、その反動が起きてくる。それは自分やチームの考え方、またその制作スタイルに沿わないことに対して、他者を見下したり、排他的もしくは否定的に語ることだ。これは映像クリエイターに限らず、ある程度スキルを積んで地位やポジションを得た人に必ず起こることでもある。

シャーデンフロイデ(Schadenfreude)という言葉をご存知だろうか? ドイツ語で「害」を意味するシャーデンと「喜び」を意味するフロイデを合わせたもので、日本語でいうところの「他人の不幸は蜜の味」、最近のネット用語で言う「メシウマ」である。要はスキルアップすることで他者のやり方を否定したり、自分の方が良いとしたりする言動で、周囲を自分に向かせるようにしむけ、その対象が排他されることにある種の喜びを覚えることである。
この分野の専門家である脳科学者の中野信子氏曰く、シャーデンフロイデとは本能の一部であるのだそうだ。人間は元来、生物学上弱い生きもので、集団生活をしなければ外敵から身を守れない。集団の輪から外れようとする存在を否定することでヒトはこれまで進化して来た歴史がある。その重要な本能としてシャーデンフロイデは存在する。だから誰にでも存在する意識であり、どんなに抑制しようともなくすこと不可能なのだそうだ。「いじめ」問題がなくならないのもこれが原因である。
ジャーナリストである自分にも、当然大いなるシャーデンフロイデが存在していて、時折自分の指向性に反するものを痛烈に批判し、周囲に自分が正道であることを誇張したい欲求に駆られる。これは冷静になればあまり好まれる言動ではないし、自己嫌悪に陥った時期もあった。しかし本能であることを自覚した今、このシャーデンフロイデについて私は必ずしも否定的ではない。

私自身はそこに一つのルールを決めている。他人の意見や方法について、それは違う、ダメだとするときは、必ず他の解決策、改善・代替提案があること、そしてそれを実践もしくは理論的に説明できることを前提に発言することにしている。まあ酔っぱらっているときは別として(笑)。実際に私の知人で尊敬できるクリエイターは皆、それができる方々ばかりだ。
他者のやり方を単純に否定することは簡単だ。しかし、自身がそれを否定する責任として、それに代わる、超えられる何かを持っていて、しかも実践できなければ、それはクリエイティブとは言えないのではないか? 困難で不可能なことも、その知恵と実力で自信を持って超えていける人こそが真のクリエイターだと私は思う。そして、本当の意味でスキルが付いたとは、そういうことのなのだと思う。