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道具の魅力を削り出す

石川幸宏 / HOTSHOT編集長

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今年、東アジア、欧州での取材機会が多く、そこで多くのインプットを得た。中でも中国の進展ぶりには驚かされた。特にモノの品質向上は目覚ましく、日常におけるITの導入にも非常にアグレッシブかつ先進的だ。さらに製品を使う側になってのアイディアや細かい気配り、ハッとするデザインなど、これまで日本が得意としていたような製品指向も多く見られるようになり、魅力的な製品も増えている。

日本製品の品質やスペック、技術はもちろん未だに世界屈指のものである。しかしここ最近は、いささかユーザーの顔色を気にし過ぎる傾向があるのではないだろうか?どこかある種のマーケティングフェチになっている印象がある。つまり、より多くの顧客を満足させるべく様々な機能やスペックを満たすことが重視される中で、それを優先するがゆえに、どこか魅力に薄れ中途半端な製品を生み出してしまう傾向があると思う。優秀な製品だが「道具」としての個性に欠け、角が取れた面白くないモノになっているような気がする。

いま日本の製品づくりは、一体何をゴールにしているのか?少々疑問だ。実際に機能やスペック、多様なユーザー意見を満たすこと、それ自体をゴールにしてはいないだろうか?
例えばカメラでいえば、開発メーカー側が考える次の技術の達成度合いが、製品完成の基準となっている。それはそれでいいだろう。もちろん高機能やスペックを否定する気はないし、映像機材は常に新たなスペックを求められるモノだから。しかし肝心の、使う側、撮る側の気持ちやその嗜好を見ていない製品も多いと感じる。

何かを創造するための道具とは、使い続けてやがてその人の個性の一部となるものだ。だからまずはユーザーには、その道具を好きになってもらう理由が必要なのである。機能達成だけが目標では、やがて単なる消耗品になってしまう…。

この9月、ARRI(アーノルド&リヒター)が創設100周年を迎え、欧州やアジア、そしてハリウッドなど世界各所で祝賀パーティが開かれた。そして世界の撮影関係者、映画関係者から大きな祝福を受ける現実を目の当たりにした。もちろんARRIの製品ばかりが優れている訳ではないが、映画界にとってARRIの存在が、いかに大きいかを改めて認識した。そこには映画を創造するための道具を作り続けてきた自負と信頼が浸透しており、いまの立ち位置を確固たるものにしているのだと思う。さらに映画制作の現場では、それがビッグな現場になればなるほど多くの人間が関わるので、求められるのは多機能や多様性よりも、よりシンプルで分かりやすく、このカメラで映画を撮りたいと思わせる道具としての魅力が必要だ。そのこともARRIは良く知っているのだ。

モノづくりに最も大切な「道具の魅力を削り出す」努力をずっと怠らずに進んできたのだと思う。日本製品はこの作業をどこかで見失ってはいないだろうか?忘れかけてはいないだろうか?次第に魅力が薄れていくように見える日本製品だが、他国製品がさらに助長して追い抜かれる前に、元来、日本が得意としてきた、モノづくりへの本能を回帰して欲しいと思う。